我時朗(ガジロウ)
- 本名:佐藤隆史朗
- 性別:男性
- ペット:ころ
HISTORY
- 0歳
滋賀県のびわ湖の畔で劇的に誕生!
- 1歳
保育園に行くのを本当に嫌がる甘えん坊!
- 2歳
保育園に行くのに慣れる。
- 3歳~
5歳 戦後10数人しかかかった事の無い喉の病気にかかり、全身麻酔による手術を12回行う。良くドイツとかから私の喉を見学しに医者が来るようになる。この頃に『死んだ後の世界』や『何のために生きるか』について考えだす!
- 6歳~
8歳 歴史に名前を残すにはどうするかの研究の末、現代では自分は歴史に載れないと思う。乱世に生まれたかったと落胆する。
- 9歳~
11歳 とは言うものの死ぬのは怖いので、死ぬまでの暇つぶしとして野球に没頭
- 12歳~
14歳 野球以外の時間は、ブラックバス釣りか素潜りによる手長海老漁に勤しむ。そして、地元の手長海老を絶滅に追いやり自粛する。
- 15歳
ワンピースを読みまだ自分が歴史に載れる事を知る。しかし、お金の稼ぎ方が分からず断念
- 16歳
プロ野球選手になるような人は生物学的に異なる生物である事を知る。
- 17歳
頑張って遊ぶ。毎日23時に野球から自宅に帰る直前に先輩に拉致され朝まで遊ぶ。リポビタンDを飲むが一向に疲れが取れない・・・しかし、やめれば死にそうで手放せない日々が続く。
- 18歳
高校で野球をやめるつもりで大学に入ったのに気づけばまた体育会のガチの野球部に入部。本気で自分は野球が好きな事に気づく。
- 19歳
野球部が投手不足に陥る。ボーリングが得意だったのでアンダースローの投手として抜擢。アンダースローの研究のし過ぎで死にかける。この時に、過労死のメカニズムを知る。
- 20歳
アンダースローの研究の成果がでて1年で球速が20キロアップする。野球を始めて11年半で、『野球ってこう言うスポーツか~と知る』この頃、高校の頃に感じていたプロとの差が縮まる。とは言うものの高校の時にわずらったヘルニアで調子はマチマチ。はっきり言って使えない。この頃、お金持ちに成るのは、まぐれだけではない事を知る。
- 21歳
野球をやめて、就職活動をする事により生活が楽になり、視力が1.0から2.0に上がる。受けた会社5社中、2社から内定、2社は辞退、1社は役員面接にてガチで落とされる。落とされた理由は、『君って知性を感じないよね!』との事。周りの噂ではこの会社は一度落とした人でも再度、面接して合格させるケースがある事知り、その知らせがあった時の断り方の練習をする。・・・・しかし、そんな誘いは無く。元々第一志望の船井総合研究所に入社を決める。
- 22歳
船井総合研究所入社。同期が外に仕事に行く中、基本的に会社に引きこもり、先輩が引くほど長く働く。市場規模の調査にて、学生と偽り潜入していた1部上場企業から内定をもらう。商品力調査と言う単純作業を同期が嫌がりだし私に仕事が集中。しかし、この仕事が現在のコンサルティングのベースとなる。
- 23歳
昼間は、物流やリサイクルの仕事を行い、夜はWEBの仕事を行うと言う夜の仕事をする人見たいな働き方をする。
- 24歳
ある程度、業績の上げ方を知ったと思い外に出だす。外に出たお陰で、製造業・卸売業・小売業・サービス業の社長や工業デザイナーやブランディングのコンサルタントの方など様々な業種業態の社長と出会う。しかし、漢字が書けないので凄く恥をかく。さらに、自分がある程度仕事が出来るようになったと錯覚していた事に気づき半端なく恥ずかしくなる。そして、1からスタート。
- 25歳
1年以上支援している支援先の平均の売上昨年対比が800%達成。やっと企業の業績を上げる事が可能になる。WEBの事なら今後どうなるか?5年先くらいは見えるようになる。しかし、未だに漢字は書けないまま…
ネットショップは業績を上げ辛いからやめておけと言った先輩達が次は、お前以外上げられないと部下が苦しむからやめておけとアドバイスをくれる。
色々な社長から、何をすれば儲かるか質問をよく受けるようになる。はじめは「こう言った条件が揃うと儲かりやすい」などの儲かる条件を探すが次第に、結局は「人」ということに気づく。その会社の社員さんの実行力×人数がその企業の粗利額になる事がわかる。そこから人財育成に興味関心が行く。この頃からもうこれ以上自分は成長のしようが無いと思いだすが…
結局1年振り返ると1つ次元が変わる成長をしている自分に驚く。
この頃には船井総研退職を考えるが、これまで多くのモノを貰ってばかりなので、部下を育てて恩返しをする事を心に決める。
- 26歳
人を育てる事は出来ない事を知る。しかし、人が育ちやすい環境を作ってあげられる事も同時に知る。そこから組織論の勉強を行う。
組織の最小単位は「1個人」であり、最大単位は「宗教」であることに気づき、世界の宗教がどの様に発展し、継続しているのかを勉強しだす。
クライアントの社員さんはドンドン成長しているのに、自分の直属の部下が成長していない事に気づく。近い存在に刺激を与える事が難しいことを知る。しかし、個人を成長させるには、「約束を守る」「初動を早くする」「考える」という順番に課題を出さなければいけないことに気づく。
業績アップのノウハウ面でもガジロン値の公式を編み出す。
そして部下と同棲の末に、その部下も1人で昨年対比200%以上を複数社で実現する。
やっと、先輩コンサルからネットショップのコンサルを辞めるようにと言うアドバイスが無くなる。
今年こそはもう成長できないと思うがやっぱり成長している自分に驚く。
- 27歳
3年の恩返し期間の最終年として、既に1人で業績あげられる本物のコンサルタントが2人は出たのであとはクライアントが自ら業績アップノウハウが溜まりやすい環境を作るべく、ネットショップの経営者が情報交換ができる研究会の強化に集中する。その会あり70名以上が参加する会になる。
- 28歳
2年と言う期間限定で、メーカーの副社長に就任する。しかし、入って2ヶ月後の決算で在庫評価を適正にしたら単年で1.6億円の赤字着地になることを知り、業績を安定させずに2年と言う期間では逃げられないと腹をくくる。
- 29歳
資金繰りが厳しくなると正常な判断が取れない事を知る。絶対に儲からない選択肢だろうが今月を乗り切る為に社員の給料を払う為に進まなければならず。ドンドンと選択肢がなくなり、ドンドンと身動きが取れなくなって行く
- 30歳
どこもお金を貸してくれなくなるので、自分の全財産はもちろん、友人などからお金を集められるだけ集め。ドンドンとおかしくなる事業を何とか立て直し、企業価値を高め、なんとか破産を免れて民事再生に持ち込む。本当に多くの人に迷惑をかけてしまい、全国を謝りに回る。相当の覚悟で謝りに行くが、私の予想に反して本当に暖かく接して頂き、1週間で90%の取引が回復し、民事再生翌月に業績も粗利額で昨年対比で126%に達する。
民事再生を体験して初めて、以下のデットラインを知る。
事業撤退のデットライン(ここを超えずに事業撤退を決断できれば人員削減はしなくてすむ)
人員削減のデットライン(ここを超えずに人員削減すれば倒産せずにすむ)
倒産のデットライン(ここを超えたら、会社を売るか、民事再生的な処置を取るか、破産かしか選択肢がなくなる)
振り返って思う事は、資金繰りが厳しくなったら決して「頑張ってはいけない」
それは、変な方向に経営が行っていると言う合図なのだから。
その合図にしっかりと耳を傾け、一旦は撤退し体力を温存してから再挑戦すれば良いと言う事を知る。
しかし、実際はこの経験をしていない状態では、頑張らないと言う選択肢は=全てを失うに等しい感覚になり後戻り出来ない感覚に襲われる。
ただ、本当は最後のデットラインを超えない限りいつでも後戻りできるし、なるべく早く後戻りすれば傷は浅く、より早く再チャレンジできる事を知る。
- 31歳
思っていた形とは大きくかけ離れるが、結局2年半で経営は安定したのでその機に、副社長を退任し、経営コンサルタントとして独立する。
凄い物で、経営相談に行くとその会社の数字を見なくても経営が危ない所は空気で分かるようになる。
業績を上げるだけではなく、企業を存続させると言う選択肢も手に入れる。
人気記事ランキング
-
なぜ、ユダヤ人にはお金持ちが多いのか?実はその理由は、単純だった?
なぜ、ユダヤ人にはお金持ちが多いのか?実はその理由は、単純だった?/2021.11.22
-
仕事の「早い人」と「遅い人」の違いが生じるカラクリ!
仕事の「早い人」と「遅い人」の違いが生じるカラクリ!/2020.05.15
-
達人に成る為の2万時間の法則
達人に成る為の2万時間の法則/2014.04.24
種類別に記事を探す
編集長 がじろうの簡易プロフィール
- ニックネーム:我時朗(ガジロウ)
- 名前:佐藤隆史朗
- 性別:男性
- ペット:ころ
経営コンサルティング会社STRK(スターク)の代表を行いながら、本物のコンサルタントを目指す人が1人でも増える事を望みがじログを更新している。