先日イギリスに行った際の旅行記第二弾。
基本海外での宿泊は全てAirbnb(エアビーアンドビー)(世界規模にて民泊の部屋を探す為のポータルサイト)にて部屋を手配し、地元のスーパーにて買ったもので自炊する事にしている。
エアビーにて部屋を手配するとホテルと違いキッチンが付いているので、地元の人と同じ金銭感覚の生活が送る事ができる。
※その国の名物料理だけは本場の味を知りたいのでお店で食べるが・・・
今回の旅行でもロンドンにて4泊ほど宿泊予定だったので部屋を手配した。
するとロンドン出発の2日ほど前にホストから以下の様なメッセージが入った。
私と○○とであなたが無事に我が家に到着する事を願っています。的なメッセージだ。
この時点で私は初めて二人で生活している家の1室を借りるという事を理解する。
私は勝手に、マンションの1室を丸々貸切だと思い込んでしまっていたのだ。
恐らく、事前にこういった事を確認できるのだが私もAirbnbを使い始めたばかりなのでリサーチ不足だった。
今、思い返せば
全ての歯車はこの時点で既に動き出していた。。。
日本からロンドンへの飛行機の機内にて、ボヘミアンラブソディーを英語の勉強もかねて吹き替え版と字幕版にて2回鑑賞し、イギリス入りに向けて万全の状態でロンドン入りを果たす。
今、思い返せば
ちゃんとフッラグは立っていた。。。
そして、長い旅路を経てやっと宿泊先の家に到着。
スキンヘッドの男性のホストが暖かく玄関まで出迎えてくれて、そのまま中に通される。
今、思い返せば
この時点で確信を持ってもおかしくなかった。
部屋の中には別の男性がまた私を笑顔で暖かく出迎えてくれた。
その家のハウスルールや近隣のスーパーや美味しいお店の情報を一通り教えてくれて、二人は自分たちの部屋に戻った。
そして、残された私が広々と美しいリビングを眺めていると私の視界に1つのメッセージカードが飾られているのが目に入る。
堂々と飾られているモノなので覗いて見ると。。。
それは先ほどの二人の間で送りあっていたガッチガチのラブレターだった。
こうして私は、生まれて初めて同性愛者の人と同じ屋根のした4日間を過ごす事になる事を知ったのであった。
まだ心の準備が出来ていない私はお風呂に入る際にふと頭の傍らで絶対にありえないとは思いながらも・・・
「もし、自分の下着を勝手にあさられて、ふがぁふがぁされていたらどうしよう」とよぎった。
そして翌日の朝も外に外出する際に私の荷物をふがぁふがぁされていたらどうしようとよぎってしまった。
しかし、2日目の夜にはに二人がいかに素晴らしい人たちか直ぐにわかり、上記の様なくだらない事は頭に浮かぶことすらなかった。
それと同時に、自分が一瞬でも差別的な発想をしたことに気づいた。
まさか自分が差別的な発想を抱くとは・・・
正直これは私にとって、とてもショックだった。
というのも私の両親は、職業がボランディアだった。
現在では考えられないが今から50年ほど前までは関東、関西、中部などの範囲にコロニーと言う街を1つ作り、そこに障害者を全て収容し、一般の社会から隔離し存在を隠していた時期があった。
そこで生まれたのが施設解体運動と呼ばれるものである。
健常者が障害者の人でもできる仕事を見つけてきて、サポートしながら一緒に稼ぎ一緒に暮らす共同生活を通して障害者が生まれた街で、そのまま生活ができるようにしようと言うモノだ。
従って、私は小さい頃から障害者の人たちと一緒に生活をしており一緒に笑ったり、一緒に怒ったりしていた。
物心ついた時から一緒にいるので、それは当たり前の生活であり、もちろんのこと差別などと言う感覚もなく。
障害者と健常者と言う概念すらない。
だから、障害者の人が変な言動をしていたら普通にバカにし、一緒に笑っていた。
友達とじゃれ合うのと同じ感覚で。
自分ではこう言った偏見なしで常にフラットな視点で物事を見る事ができるのが自分の強みの1つだと自負していた。
だからそこ、自分が差別的な感情を一瞬でも抱いた事にとてもショックを抱いた。
日本に帰国後、上記の話を複数の経営者の方に話していると1人の方が「これまで近くに同性愛者がいなかったの?」と質問してくれた。
そう言われてみれば私の人生において近しい友人に同性愛者はいなかった。
この瞬間、私に稲妻が走ったのだ。
どうやら差別とは、知らないモノと出会った際に起こる恐怖がトリガーになっている様だ。
人は知らないモノに対して恐怖心を抱く。
その恐怖心から自分を防御する為に、その恐怖の対象から離れようとする。
離れるだけなら良いが追い出そうとするとそれが迫害になる。
ただ私は2日でその恐怖心はなくなった。
それは2人が安全な存在だと知ったから。
つまり、差別とはその対象のことを知りさえすれば解消されるようだ。
これは、差別などという大きなテーマだけではなく、苦手な人や苦手な仕事にも応用が効く。
知ると言う行為の万能性。
そんな学びがあがったロンドンであった。