7月25日
その昔私は、人の目を気にしていた。
特にゆみこちゃん(母親)の目を!特に保育園のゆっこ先生の目を!
この2人には何をしてもヒクくらい怒られたから・・・
どうすれば、怒られないか必死に考えた・・・
考えても行動しても怒られた。
自分は人の心が分からない人間なんだと言う事を知った。
だから、相当気をつけなければその人のカンに触れると必死にこの2人の目を気にしているうちに人の目を気にするのが慣れだしかなりのオリコウさんになれたていたと思う。
そんな私の目の前に現れたの兄の存在。
ゆみこちゃんは良く『そんなにしたかったら勝手にしなさい!(ピシャリ!)』と私を叱り付けた。これを言われると私は幼いながらに『めっちゃ怒ってるやん!これはやったらあかん事やったんや』と感じてその事はしないようにしていた。
そしてある時、真ん中の兄も、ゆみこちゃんから同じように『そんなにしたかったら勝手にしなさい!(ピシャリ!)』と言われていた。
そして、私は信じられない光景を眼にする。
兄は本当にビックリするくらい好き勝手し出したからだ・・・。
しかし、ゆみこちゃんも自分が勝手にしなさいと言った手前一切怒らない。
この事は私にとって革命的名衝撃を与えた。
それからは、最低限の目だけを気にするようにした。
ゆみちゃんが『人の家では17時までしか遊んだらあかんで!』と言われれば、びわ湖で23時くらいまで毎日遊んでいた。(小学5年生の時)
この辺から、人の目を気にしない行動を取っていると次第に私の周りには私の自由を楽しんでくれる人が出だした。
『お前らしいな!』と言って喜んでくれる人が出できた。
その辺りから、人の目を気にして生きている人を不自由に思うようになった。
そして、人の目を気にせずに生きられている自分を誇れるようになっていた。
そして、先日ある人から『私は人の目を気にして生きてるんですよね』と言う話をされた。
私は改めて自分は本当に人の目を気にしていないのか考えてみた。
そして、気が付いた。
私も人の目を気にしている事に・・・
私は自分の目しか、気にしていないが、その自分の目とは、結局これまでの自分の経験上の理想の自分物像であり、その人物像とは、人が私の自由な振る舞いを認めてくれたと言う経験やアニメのキャラクターに共感したなどの経験から成り立っている事に気づいた。
結局、自分の認めてくれる人の目を気にしていたと言う事だ。
私の行動は一般的には人の目を気にしない行動に映るかも知れないが、結局は50歩100歩
『人は皆、人の目を気にするようだ!』
だから、人の目を気にする事で落ち込まないで欲しい。
ただ、どうせなら『自分の事を認めない人の目』など気にしないで欲しい。
疲れるだけだから!
以前にブランディングの話で吉川さんの話をしたと思うが、その時に吉川さんから『君はブランディングできていると思うよ』と言われた。その時は何を言っているのか全く意味は分からなかったが今なら少し分かる気がする。(吉川さんとは・・・日本有数の大手企業のブランディングのコンサルティングをしていた人)
ブランディングとは、存在を認めてくれる人の期待を裏切らない事の積み重ね。
私が本当に出来てるか、かなり疑わしいが・・・・吉川さんが少なからず感じてくれたのは、私の人の目の気に仕方を感ずいてくれていたのかも知れない。
本日伝えたい事『そんなにしたかったら勝手にしなさい!(ピシャリ!)』