2013年2月1日
先日、三重県にあるピザ窯メーカーさんに仕入れ開拓に行った。
そこへ行くまでは、大阪から近鉄で2時間半かかる。東京と同じ時間だ・・・・
なばなの里付近にある、伊賀神戸と言う駅で乗換えを行っている時に少し時間があったので何か買おうと思った。しかし、どうやら駅構内には売店が無い。そこで駅から出てコンビニを探したのだがそれも見渡す限り確認できない。
しかし、少し歩いていくと、時々田舎で見かける、どうやって経営しているのか分らない程に商品が少ない商店が1件ぽつんと存在していた。恐らく、店の在庫金額は総額3万円程度だろうか・・・・買い物カゴ2つで全て入ってしまいそうな量である。
この様なお店は恐らく、おばあちゃんが話し相手をしてくれる人を作る為に店だけ開いているんだろう。
店に入るとやっぱりおばあちゃんが1人いた。
しかし、よく見ると大人の男性が2人も店内にいる。そして、その店には似つかわしくない最新鋭のコピー機が取り付けられている所だった。
この2人の男性とは1人が営業マンで1人が設置業者なのだろう!
私はこの営業マンに無性に腹がたった!
本気でこの店に最新鋭のコピー機が必要と心の底から思っているのだろうか?
このおばあちゃんはすごく満足そうな顔でニコニコとコピー機を眺めている。余程上手く言いくるめたのだろう。
顧客満足と言う言葉が存在するが、お客さんが満足していればそれで良いのか?
その瞬間の満足では無く1年後なのか5年後なのか分らないが最終的な満足度の最大化を目指さなければならないと思う。
今回の件は、もしかするとおばあちゃんから話を持ちかけたかもしれない。
そして、仮にここでこの営業マンがコピー機を販売しかければおばあちゃんは無駄な買い物をしなくてすむ。しかし、この行為によって、おばあちゃんが買いたかった物が買えず、一時的に悲しむかもしれない。さらに、仮に買わ無いことによって得をしたとしてもその事に気づかない可能性も非常に高い。
しかし、私は目先の顧客満足ではなく。最終的な満足のために仕事をする人をプロと呼びたい。
ただ、世の中には、私が腹を立てている理由が理解できない人が多くいたり、奇麗事だと思う人も多いと思う。
しかし、100年以上続いている企業などはこの様な考え方の所が多いのではないだろうか?
そして、いくら奇麗事と言われようがこの様な行為はマクロの善と言う視点で確実に善であると確信している。
よく、松下幸之助さんとかが先に尽くせば後から利益がついて来るなどの言葉を仰るし、この様な事を言う人は多い。
しかし、現に私も昔は奇麗事だと思ってた。理解が出来なかった。
しかし、去年から介護関係の仕事を通して何となく徐々に確信に近づいている。
良い事して報われないはずが無い。
本日伝えたい事『そのおばあちゃんはとても可愛かったって事!』