8月24日
昨日私は生まれて初めて表参道へ行った。
表参道に行くまでの道のりを35歳くらいの坊主の男性に聞いた所、必要以上に丁寧の教えてくれて、気が付けば仲良くなり最終的に番号交換までしていた。(奇跡!)
そんな、こんなで表参道に到着し午前中の仕事を終えた後に次の仕事が夕方だったので空いた45分間で表参道を散策して見た。
私にとって、『休日は表参道をふらふらするのが好きです』と言う人種は私と正反対の人種だと思っていた。
しかし、自分が歩いて見ると本当に歩くだけで面白い!厳密に言うと表参道から一本中に入っていく各道が面白い。見たことの無い形の建物に色とりどりの商品が陳列されており非常に町全体がアートであった。
そこで本日は皆様にオシャレについてご説明しようと思う。あくまで断っておくが私はオシャレではないし更に言うと、『更にオシャレにするには・・・』と言う話も出来ない。
あくまで、オシャレとは何かという定義の一つの切り口を紹介しようと思う。
オシャレとは・・・一言で言うならば『無駄』である。
この定義に気づいたのは私が高校2年生の時に六甲アイランド高校へ野球の遠征に行くバスの中での事。
※ちなみにこの六甲アイランド高校とはあまり野球好きにも知られていない高校だが甲子園に出てない高校の中では群を抜いて強い強豪高で兵庫県内の高校からは一目置かれている高校だ。私が対戦した時のクリーンナップのホームラン数が3人で60本を超えていた。
話が脱線したがこの高校に行く際に神戸の町並みにをバスは通る。実はこの時私は始めて神戸を訪れる事になるのだが、その町並みはとにかくオシャレ!
私の様なアホ高校のバス車内ではオシャレなものを見つける度に『ちょっと待って!あの街灯ですらクネクネしててオシャレ~~~~~~~やん!』などと大きな声をからして喚いていた。
そして、強豪六甲アイランド高校にバッチリ負けて一定の冷静さを取り戻し帰路のバスの中で行きしなの風景を見ていると、ふと気が付いた事がある。
街灯のあのクネリは必要だろうか?ガードレールのあの模様は必要だろうか?と言う疑問が現れた。街灯は明かりを燈せば役割を果たす。そして、ガードレールは歩行者と車を隔たれば役割を果たす・・・・・・・
そこで出た結論が『あのクネリはいらんな!と言うか無駄や!』
そう考えると、重ね着と言う物自体も寒いのであれば厚手の生地の物を着れば良いだけの事であり必要は無い。
人は、この様な無駄に対して心のゆとりを求めその様なものを好むのだろう。と言う意味では必要と言う見方もできるが・・・
本日伝えたい事『坊主に悪い人はいない!』