7月28日
先日友達から『好きって何なんやろう?』と言う古代ギリシヤの哲学者の様な質問を受けた。
この質問の最適な回答を私は持っているのか分からないがある1つの視点から見ると以下の様に2つに分ける事ができると思う。
①一般的に言われている付き合いたての感情である『好き』
②私の友達のようにある程度付き合ってから付き合いたての感情を失って入るが相手の事を大切に思っており、しかし、やっぱり付き合いたての感情とは違うことにより『好き』と言う感情に疑問を感じている人の求める『好き』と言う言葉の2つに分ける事が出来ると思う。
ここで話はいつもの様にぶっ飛びたいと思う。
あるドイツの大学教授は論文非常に興味深い発表をしている。それは『恋愛感情とは種の保存のためにDNAに組み込まれている』と言うのである。
話は原始時代にさかのぼる。人間の男性は出産を終えた女性を洞穴の中に赤ちゃんと一緒に残して自分は狩に出て獲物を洞穴に持って帰る。しかし、ここで注意しなければならない事はこの獲物は赤ちゃんのために持って帰ってきているが決して女性のために持って帰ってはいないと言う事である。子どもの生存のために獲物を運ぶが女性に対しては何の感情も無いのである。しかし、気が遠くなる年月が過ぎると共に人間は気づきだす。それは、赤ちゃんが一定の年齢になるまでは女性に面倒を見てもらっていた方が生存確率が高いという事に・・・!
そして、人間は男女が一緒にいるように恋愛感情と言うものを創ったのだと言う。そしてこの感情は約3年で切れる様になっていると言うのである。これは出会って3年すると子どもは2歳になっているのでそこからの生存確率は比較的高いからである。
という事は始めに話した①の『好き』と言う感情はDNAがもたらしたもので、②とはこのDNAの反応を超越した感情と言う事になる。この様な感情を抱いた人は人間の中で何%いるだろうか?1~2%?とか分からないが非常に少ない気がする。稀にいる死ぬまで熱々の夫婦の事だろう。
ではこの様な感情を言語化できるのだろうか?(ここでやっと題名かい!)
と言うより、そもそも言語によって感情を伝える事は可能なのだろうか?
熱いと言う感情を人生で一度も感じた事の無い人に言葉で伝えようとして欲しい。
・・・・
私には無理である。
つまり、そもそも言語が通用するのはその『物』や『事』を知っていると言う大前提の上に成り立っている。つまり、感情を言葉で伝えようと思うとそれは言葉を発する方も受ける方も同じ体験をし同じ感情を持った経験があって初めて意思疎通が可能になる。
皆さんの部下や社員に対してこれまでに無理な事言いなぜ理解してもらえないのか『悩んだり』『イライラ』した事は無いだろうか?
そもそも無理な話である。従って、組織において意思疎通をもっと早く深く行う答えは1つ。
同じ体験をしその出来事や感情に名前をつければその組織の合言葉をいくつ作るかと言うことである。
本日伝えたい事『今日は理論的な話をしたので、その分、女の子に受けるように今から星でも眺めよう!』