7月15日
良く一般的に社長業とは決断業だと言われていると思う。
決断とは結果論から見ると必ず『善・悪』の決断が存在すると思う。※結果をいつの時点で見るかによっても異なるが・・・
従って、決断業を行うにあたっていかに最速で『善』の決断ができるかと言う事が求められる。と同時に『善』に対する軸が必要である。『何が善で?何が悪なのか?』
おのずとこの『善悪』についてはここ4年間くらいずっと考えてきたし私の全ての行動を左右する決断を全て上記のような考えの下決断することにより『善悪』の判断軸を確立しようと努めてきた。
今から私の善悪に対する認識を私の成長の過程と共に紹介したいと思う。
善悪に対する認識①:『善悪は存在する』
元々善悪について何も考えていなかった頃はその名の通り善悪は存在すると思っていた。
善悪に対する認識②:『その立場による善悪は存在する。そして全ての立場における善悪は存在しない』
これは、『新撰組における善』と『維新士における善』どちらかを悪と言えるだろうかと言うところから来ている。その立場においての善は存在するが違う立場においては悪になってしまう。つまり、全てに共通する善悪など存在しない。
善悪に対する認識③:『マクロの善の存在』
うちの創業者の船井幸雄さんは常に判断は『マクロの善』を行わなければならない。と様々な本で書かれている。しかし、具体的にマクロの善とは何なのかは教えてくれていない。少なくとも私が読んだ30冊程度の本の中では・・・その中最もその答えに近そうに書かれていたのが『マクロの善とは全ての立場を超越した善である』と言う言葉であった。それから私は全ての立場を超越した善とは何なのか?と言う事を考え続け探し続けている。これが見つかればどの様な状況下においてもブレない判断ができるはずである。
※余談ではあるが、この判断基準が明確に分かっているのであれば人は『損得勘定で動いた方が良いと思う』何が損で何が得なのかを知っていればである。しかし、逆に何が損で何が得か分からないのであれば『損得勘定で動いてはいけないのだと思う』そして、この判断基準が明確な方の行動は一般的な人から見ると『損得勘定では動いていないように映るのではないだろうか?』
善悪に対する認識④:『マクロの善とは』
先日上記の①~③までの話をある経営者の方に話した。するとその経営者の方は『新撰組は何のために戦ったのかな?維新士は何のために戦ったのかな?その決断が未来のためにある方が正しんじゃない?』と言われた。
上記の内容を聞いた瞬間、私に稲妻が走ったのは言うまでもない。
新撰組は『幕府の体制を守るため』維新士は『このままの体制では日本が先進国に遅れを取りいつかは属国になる可能性があるので幕府体制を撤廃し先進国の文化を吸収し今後も日本が独立し続けるため』
この様に考えれば、2つの立場の視点が『幕府を守ると言う立場』と『日本の未来を守ると言う立場』に分けることができ後者の方がよりマクロであると言える。つまりマクロの善とは立場の視点をより上位概念において行わなければならないと言う意味でこの判断基準に当てると『維新士の善』の方が『よりマクロの善と言える』だからこそ時代は維新士に傾いたと言う見方もできる。
現在の私のたどり着いた結論が正しいかまだ答えを出すことは非常に怖いが今後もこの『全ての立場を超越してたマクロの善』の研究は行い続けたいと思う。
本日伝えたいこと『最終的に愛とか感謝に落ち着きそうで怖い・・・・』