5月20日
本日は会社の8階から窓ガラスにもたれながら眼下を歩く人を眺めていた。そして、ふと思ったのが『この窓ガラス割れたら私は死ぬな!』
『と言うか下に歩いている人も相当危ないな!』
『まぁ、そんな事にならんようにきっと特殊な割れ難いガラスを使ってるのだろう』
『しかし、私がいきなり気が狂いその辺にある椅子で窓ガラスを割ったらどうなるのだろうか?』
これだけ多くのビルが世界各地に存在し、長い年月窓ガラスが使用されていれば上記の様な気の狂った人が現れても何も不思議ではない。では、なぜビルに窓ガラスが使用される事が許されるのだろうか?
私の考えられる答えは1つ、『皆が使用しているから!』
元々、高層ビルが存在する前から窓ガラスは建物に使用されており、その時には今ほどの危険性は無かった。しかし、徐々に2階建て⇒3階建て⇒10階建て⇒30階建てと高層化していく中でどこかのタイミングで危険性を感じた人はいるはずである。しかし、徐々に進んでいく高層化でどこまでが危険すぎるので使用してはいけないラインなのかがわからず世の中の様子を伺ううちにあまりにもその様な危険な事例が存在しないので今日に至っていると想像する事が出来るからである。
まさに、『茹でカエル』の話と一緒である。
『茹でカエル』話とは私が高校生の時に朝5:30くらいTVでそこかの和尚さんが話していた話していた内容なのだが、
《茹でカエル》人は、死ぬのが怖い。なぜ怖いか?突如環境が変化する事に慣れていないからである。つまり、沸騰したお湯にカエルを入れると入れた瞬間に『ピョン!!』と跳ねて逃げしまう。しかし、鍋に水を入れてその中にカエルを入れるとカエルは逃げない。その後カエルが気付かない程ジワジワと鍋の水の温度を上げていくと、その内カエルは茹で上がって死んでしまう。人と言うものも同じで年を取ってジワジワと死に近づいていくとそんなに恐怖は無く死を受け入れる事が出来るものだ。
本日この話を出したのは伸びの遅い会社様は皆、環境の変化の恐怖に負けてしまっていると言える。我々が何か提案すると『それを行なうと〇〇と言うクレームが起こりかねない!』と言う意見が多く何も実行できない会社様だ。
それに比べ伸びるスピードが速い会社様は『それを行なうと〇〇と言うクレームが起こりかねないが本当に起こるかも分からないから一度行なってみよう!そして、本当にクレームが発生したらそのクレームを無くせないか努力しよう!それでもクレームは避けられないのであれば、その一定数のクレームとこの新しい事を行なう事により得られるメリットを天秤にかけよう』
と全く別の意見になるのである。
考えの浅い行動はいけないが心配のし過ぎもいけない。
『いつ隕石が頭の上に降ってくるか分からない』などと考える程無駄な事は無い。
ある一定の所でこれ以上考えた結果更に不足の事態が起こった際は仕方が無いと腹をくくるくらいでなければ先には進めない。
本日伝えたい事『やっぱりいつもの魔法の言葉『バランスが必要!』』