※今日のは、長いのでガッツの有る人だけ読んでください。(けど価値はあると思います)
4月23日
今となっては、ほとんどの情報がインターネットに転がっている。
言うまでも無く無料で!
ほとんどの情報の価値がなくなってきていると思う。
極端な話をすれば、昔のコンサルタントは北海道の出来事を九州で話すだけでお金になったと言う。つまり、ただの情報屋でも価値のある情報を届けられ、それで業績があがれば立派なコンサルタントだったのだ。現にうちの会社の古い人は昔の方がよっぽど楽だったと言う者もいる。
では、現在においてお金を払う価値のある情報とはなんだろうか?
それはもちろん他の誰も持っていない情報に近ければ近いほどそして、それが役に立てばたつほど価値があると言えるだろう。
役に立つかたたないかは受けて側の問題も大きいので今回はおいておく事にする。
従って、本日の話は自分しか知らない情報についてだが、それは2つ存在する。
それは、①『自分しか体験した事のない情報』と②『気付き(知恵・アイディアなどの呼び方の物もろもろ)』である。
1つ目の自分しか体験した事のない情報。
例えば、昼間のフィットネスクラブに一人で泳ぎに行き、平均年齢65歳のおばちゃんと一緒に水中エアロビや平泳ぎなどのカリキュラムを8時間受けながら、おばあちゃんたちがいつどこで競泳水着を買うのか?購買頻度は?どの様な視点を重要視して購入するのか?流行の柄?などの情報である。
そして、もう1つの『気付き(知恵・アイディアもろもろ)』
1つ目の自分しか体験した事のない情報は分かり易く納得も行き易いと思うので本日はこの『気付き』にフォーカスしたいと思う。
そもそも、気付きとは何ぞや?と言う話の前に一旦話をぶっ飛ばしたい。
3段階の『ワカル』についてだ。
人が『わかった』と返事をした際には3通りの意味が存在する。
①知った。
②理解した。
③腑に落ちた
①の知ったとは、情報として聞いた程度でその物事を正しく理解したとは言わない。例えるならば、友達の平均交際期間1ヶ月の男が23番目の彼女と付き合った際に『今回の彼女はマジで運命を感じた』と23回目のセリフを言われた際の友達の『わかった、わかった』がそれにあたる。この『わかった』はその友達がなぜ運命を感じるに至ったかまでは理解せずに発せられた言葉だ。
②の理解したとは、上記のセリフがなぜ発せられたかまで、しっかりと聞いた上で話の受けて側が『なるほど、それならばこいつが運命を感じたというのも無理は無いな』と理解した際に発せされる言葉である。
③の腑に落ちた状態になるには②の状態に+受け手側に経験が必要である。この経験が②の先にあるか後にあるかは問われない。先にあれば②の話しを聞いた瞬間に③至るであろうし、また②の後に経験すれば、その経験した瞬間に友達の言っていた事の本当の想いが伝わる。
ここでやっと本題に戻そう。『気付き』だか一般的にこの③の状態を『気付き』と勘違いしている人が多い。この③の状態は自分の人生においては非常に大きな価値をもたらすが他人からお金をもらうまでの価値はあまり無い。と言うよりそもそも、その情報を誰かが先に発信しているので自分だけの情報ではない。
私が定義する『気付き』とはこの③の腑に落ちた情報を最低2つ以上掛け合わせて作られた情報の事を言う。
ちなみに、今回の話で言えば大きく①わかるの3種類の話し②腑に落ちた情報だけではお金にならず最低でも2つ以上掛け合わせなければお金にならないと言う話し(厳密には上記の①②の話そのものが既に気付きなので今回の話は腑に落ちた話の掛け算ではなく気付きの掛け算からなる話である)。
上記の2つ以上の話しを組あわせているので私の定義では今回の話しは『気付き』に分類される。
私のブログをほかにも読んでいる方はわかるかも知れないが私のブログは良く話がぶっ飛ぶ。
このぶっ飛ぶ事こそが『気付き』の証だと思っている。
文章としては非常に汚い形かも知れないが、そこに価値があると信じているし今後も話が飛び飛びの物を発進し続けたい。
ちなみにこの『気付き』を増やす方法は2つ。
①腑に落ちた情報を数多く集める事と②その情報を忘れない事。私は後者の忘れない事が得意だと思う。(名前・漢字・スペルは直ぐに忘れるが・・・笑)
本日伝えたい事『この掛け算の話し方をするようになったのはいつからなんやろ?こればっかりは思い出せない!きっと聞いている人を最後に驚かそうと思っていたら・・・物心付いたときにはなっていた・・・』